小屋から見下ろすと
文字どおり海に面して
バラック小屋が建つ。

飯場に

海辺に手造りの小屋を建てたいと思い立ったその場所は、かつては真珠の
作業場だった。
当時は鉄製の籠に真珠貝を入れたものらしい。
たくさんの籠は海中に沈められ、いかだに吊り下げられる。
今でも入り江のいたるところに真珠いかだが浮かぶ。

ただ当時は、籠を錆させないためにアスファルトを大釜で煮詰め、その中に
漬け込んだものだろう。
それらの残骸が、いたるところに残っていて当時の活況を物語っている。

小屋の基礎を築くためには、昔の作業場を撤去しなければならない。
ツルハシで古い土間のコンクリ−トを砕くのは、体力と根気がモノをいう。
なにせ、土間コンクリ−トの上にアスファルトが分厚くを覆っているので難
工事が予想される。
おまけに気温が上がってくるとアスファルトが軟化し、ツルハシにまとわり
ついて、とても手に負えない。
夜明けの一時がハツリの勝負時となる。

打ち込んだツルハシでアスファルトが勢いよく砕けるのはいいのだが、飛散
したカケラが、いつのまにか髪の毛に紛れ込んで厄介だ。
頭を洗うと温水で温められてベトつき、しっかり髪の毛に絡むものだから、取
り除けなくて困ってしまう。しかも異様な臭いがいつまでもつきまとう。
改めて作業を再開するには、出来の悪い後輩でもいいから素直に手を借り
よう。
夜明け前からゴソゴソ起き出し、ツルハシを振り下ろしている異常な光景が
みられたのは数日の後。
だが、ここは、全く人気のない入り江である。
後輩にとって先輩とは、「神に及ばずとも近し」であり、体育系クラブの貴重
な伝統を我々はいまだに残している。
美しい子弟関係にあって、服従は美徳で、先輩の頼みを断るなんて許され
ないのだ。
労働の過酷さは卑劣をきわめ、泣き言は耳にタコができ、夜明けの露のごと
くかき消されていく。

気づかってたまに休憩を与えるものなら、いつまでも放心状態で海をながめ
ている。
何かを訴えようとして、うなだれている背中が、まるでわざとらしい。
「釣り」をエサに、うまいこと誘い出した。
そして釣りは、「仕事が片付いた後の褒美だ」と、言い聞かせていつもこのよ
うに重労働を課している。

帰る直前まで疲れがずっしり溜って、結局のところ、釣りをやる気力がなくなっ
てしまう。
こんなにも「労働に満ち足りた日々」を、一体どれだけ過ごしたことだろう。
もっとも
後輩にとって、「タコ部屋生活」そのものだったと、ヒネクレタ思い出し
か残っていないようだが……。