遠くから
我が隠れ家の周辺をうろついていると、いろんな発見が
あったり、うれしい出会いがある。
自然の豊かさ以外に何もないと思える小さな入り江に
夢を膨らませ、遠い都会から、しかも20年以上も前から
通ってこられた先人達を紹介してみよう。
自分の小ささが分かって、とても勇気づけられるのだ。

  Bさん自慢の手作りデッキで息子さんと。
  ここから数々のさかなを釣り上げたのは昔のこと。
  とにかく大きくて沢山の魚がいて、それに比べて
今の情けないこと・・・と嘆くのであった。
  まさに、窓から竿を出せる小屋ともいうべきか。
長年の思い出を塗りこむように、来る日も来る日も
ペンキを塗っていたことが思い出される。

我が家の隣なのに樹木に隠れて、いるのかいないのかどうかまるで分からない。
それがお隣のBさん宅である。
せいぜい道路ぎわに停めてある車で、ああ来ているんだなあと分かるくらいだ。
訪問は干潮を待って、潮の引いた海岸伝いを歩いていく。
わずか数十歩の距離である。

4〜5年前までは週末になるとよくお会いしたが、最近はめったに会う機会が
なく寂しいおもいをしていた。だからチャンスとばかり出かけてみた。
隣だから、ヒョイと顔を出したといった方が相応しい。

息子さん家族もご一緒で、おもいもよらぬ賑やかさだ。
息子さんは、私が昔勤めていた設計事務所に勤めていたらしく、私の退職と入
れ替わりに入社したと聞いて驚いたものである。

4〜5年前に見たBさんはすこぶる元気だった。
しかし、この2〜3年、急激に年を取られたようだし、あれほど熱心に補修されて
いた小屋も、主に会えず寂しそうだった。
今度お会いするのは来年だろうか、それとも再来年になるのだろうか。



 ヨットハーバーを望む小さな入り江のほとりに
ポツンと一軒、仲良しご夫婦のお昼どき。
正月になるとヨットに取りつけられたイルミネーション
の輝きが百万ドルの光景をみせてくれるらしい。
裏手には小さな涌き水があり、池には淡水魚が
放流してあってとてもイイ。飲料水は井戸なのだが
とても浅いのもイイ。 蛍もいっぱい出るとか、
いったいここはどこ?と迷ってしまう。


初めて五ヶ所にきて土地を物色していた時に、とても気になっていたのが
この小屋である。
ヨットハーバーを望む小さく開けた畑の真中に、こじんまりとした小屋が
ポツンと一軒だけあった。
しばらく気になっていたので、この夏に訪ねてみた。

初対面であるし、小さな歩道をかなり降りていかなければならないし、
心細くなってくる。
しかし、ご夫婦に会った途端に心配は吹っ飛んだ。
定年退職まで後わずかという主人は、簡単に手を休めることができないらしく
庭仕事に汗を流している。
奥さんは好奇心が強いようだ。
造りたての釜場に始まってアレコレと熱心に案内してくれた。

4年前にこの小屋を購入し、名古屋から月に2回ぐらいの割合で通い、
増築や手直しに夢中の日々を過ごしているらしい。
風呂は薪で焚くもので、丁度煙がくすぶり、昔ながらの落ち着きが
感じられた。
平屋建てのこじんまりとした小屋が、海への緩やかな風景のなかにあり、
何度でも訪れたくなる。

以前の持ち主も同じ名古屋方面らしい。
30年ほど前に一体どんな気持ちで小屋を建てたのだろうか、聞いてみたく
なった。



  年を重ねた青年の笑顔がステキだ。
職業も年齢もまちまちで、海が好きだというだけの
単純にして、偉大な仲間の絆。
けっして群れたりせず、勝手に銘々自由に遊んでいます。
60過ぎの大人が小さなヨットで一日中遊んでいるサマは、
いつしか見失った大事なものを思い出させてくれます。

五月の連休と、夏のお盆前後にかならずやってくる人たちがいる。
我がバルコニーから身近に眺められるので、彼らの姿を見つけると
たまらずヨロコンデしまう。
6〜7人のヨット仲間ということだが、今から30年ぐらい前に、この地に
協同で小屋を建てたらしい。
いくら遊び好きだといっても、こんな不便なところに通ってくるからには
かなりの変人かもしれない。

多くは平凡なサラリーマンということらしい。
いまでは60を過ぎ、退職している方も多くなったという。
今年の五月などは、どしゃぶりの中を一日中屋根の修理をしていたし、
次の日もどしゃ降りで、またまた修理を続けていた。
だから、とても普通の人間には見えなかった。
雨具なんて着けてないし、とこおり大きな笑い声が聞こえ、根っから
陽気なのだ。

話しかけるのに勇気がいった。
驚くべきは、30年近くも続いている仲間の絆だ。
こんなにも続く秘訣はなんだろう。
小屋は粗末だが、彼等にとって全てが青春の生き証人かもしれない。

今年の夏も、遠く東京からはるばるやってきた。
笑い声が潮風に乗って運ばれてくると、昼寝しながら思わずニヤリと笑って
しまうのだ。