富士登山 |
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ハイビジョンテレビで見る日本アルプスの山。 細やかに映し出される岩峰や渓谷を追っていくと、にわかにココロが乱れてくる。 そして、不意打ちに過去の自分にもどる。山を見つめている若いころの自分だ。 それがとても辛い。涙が出るくらい息苦しくなる。 私はいまだ、青春時代に汗した山は登っていない。 空白が30年近くになる。 登る機会は何度かあったが止めた。近づくことさえためらうのだった。 もし登ると、ボクの山は消え、変わってしまうのだと恐れた。 あの頃の輝きを失いたくない、いつまでも残しておきたい、と願ったのだ。 今や中高年の登山ブーム。 長い中断を経て、再び登りだした人も多そうである。 青春時代を懐かしがってばかりではつまらない、今こそ大切だということ、 新たな門出でしょうか。 若者のころの熱き山に替わり、いろんなことをさんざん経験し、熟した目が 映し出す山も、これまた素晴らしいものでしょう。 納得します、彼等大人の山登り。 | |||
しかし、ボクはいまだ子供のまま。 記憶のなかで山を想い、青春を撫でり、回想で涙する自分が いとおしいのね。 もう少しこのままでいようか、と思う。 故郷の友がアルプス走破のたよりを寄越す。 もうすこし待っていてくれ、そのうちオレもと、苛立ちを押さえ いつも萎れてばかり。 いつまで続くんだろう、このネジレ現象。 10年間暖めてきた山が、そろそろどうだい、と誘いをかけてきた。 五ヶ所の富士山だ。 なんといっても富士山、200mに満たなくても容姿がグッドナイス。 頂の向こうにははたして何が待っているんだろう。 1月1日 事始めに申し分ないや。 路にミカンが転がり落ちていないだろうか。拾い食いしてみたいな。 猿や鹿に出くわさないだろうか、などと期待しながらミカン畑の間を 登っていった。 | |||
五ヶ所富士の中腹 ゆったりした坂をトボトボと登ります。 ミカン畑は収穫を終えた後でした。 |
何も落ちてなく、何者にも会うことなく頂上に着いてしまった。 昔のように足元ばかり見ないから視界がとても広かった。 辛いおもいもせず、登頂できるのがありがたい。 頂上の鳥居を見て、ふと思い出した。 ガキの頃だ。 夜、だれもいない村の神社に小便をした。 それは悪いことだと分かっていたが、男になるための度胸だ と思い、勇気をふりしぼった。 武勇伝を黙っておれず、オフクロに自慢してしまった。 | ||
血相を変えたオフクロは涙を滲ませた。 ボクは泣べそかきながら後に従った。 塩を撒き頭を垂れ、神様の許しを請うていたオフクロが闇の なかにいた。 そんなことがあったんだと、妻に話したあと急にもよおしてきた。 帰り、妻は下り坂で、おもいっきり滑ってころんだ。 とっさに支えた手が地面を激しく擦ったようで、 大きな擦り傷で皮がめくれ、とても見ていられない。 血で滲んだ手を広げ、ボクを睨んだ。 「小さいころはお母さんに身代わりさせ、 ジジイになって私に身代わりさせるわけ! 罰あたり!」 傷口を洗うため、リュックからお茶をさし出した。 もう終わったと思って、ボクは残りのお茶を飲み干してしまった。 「はい お茶」 傷口の洗いは終わっていなかったのだ。 妻は痛さから、一層不機嫌になった。 | |||
頂上の鳥居からの眺めです。 神聖なところです。 |
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