着地の難しさ
 老夫婦が新築間もない家を売ったのが1年前。
売ったお金で、近くの集落内に古家付土地を買った。

老人は手先が器用だから古家を改造する予定だった。
しかし古家の権利関係がこじれ、それに嫌気がさして
取り壊すことになった。
あとには更地となった土地が残った。
だがそこに、新たな家を造るとなると、そんな経済的
余裕などあろうはずがなかった。

いろいろ心労が重なり、たまらなくその土地を売り出す
ことにした。
しかし、それからすでに半年以上も経つが、いまだに買い
手がつかないようである。

老人にとって五ヶ所は、終の棲家となる場所だった。
その夢は今も捨て切れなく、土地を売ったお金で最後の
望みを託すことになっている。
3度目の賭けに出ようというのだ。
はたして、夢はかなうのだろうか。

道路一杯まで畑を造ったのでした。
おかげで車のすれ違いも出来ないほどです。
老夫婦の熱情は、半年で山地を畑地に変え、見事な
野菜を育てるに至ったのです。


そのまえに、なぜ老夫婦が新築の家を手放すことにした
のか、であるが。
なにが、気にいらなかったのだろう。
新築の家に住んでおよそ一年、その間に経験した
そんな筈ではなかったという「ボタンの賭け違い」とはな
んだったのか。

庭造りや、畑作、バルコニーの造作工事など、精力的に
完成していく様子は、とても70歳近くの老人とは思えない
ほどだった。
傍目にも、老人が「田舎暮らし」に賭ける熱情は痛いほど
わかるのだった。
しかし、わずか一年であらかたの事をやってしまうと、後に
何が残るか、となろう。
残るものが少なくなると、情熱も冷えてくる。
けっして広くない敷地は、老人の熱情を満たすには狭すぎ
たのかもしれない。

それと、だれもが憧れる自然の豊かさというのは、逆に人気
(ひとけ)がないということ。
老夫婦にとって人気(ひとけ)のなさは、想像以上の寂しさを
感じるものだったらしい。
これは定住してはじめて分かることで、私のような月末別荘
型生活の人間には理解できないことなんだろう。

さらにこれは一年以上住んで分かることだが、季節の変化に
どの程度の理解があったのか、という気がかりである。
冬は温暖な地域とおもったら、とんでもない間違いだ。
雪こそ降らないが、北西からの季節風は強烈で冷たい。
海面を走る風は、斜面を突き上げるに従いパワーを増し、
バルコニーの屋根を、いとも簡単に吹き飛ばしたのだ。
老人手造りの自慢の屋根だった。
老夫婦が去って、手入れがされなくなった畑地。
まるで
「枯れ草や ツワモノどもの 夢の跡」のようです










他にも、家を手放す原因があったようだが、数え出せばきりが
無さそうだ。
とにかく、「田舎暮らし」の夢をせっかく実現したというのに、
あまりもあっけない幕切れのようである。
........  五ヶ所湾を一望できる岬。
.山の頂上は暖かい春の日差しに満ちていた。
2年前までは、雑木林に覆われ海の視界が望めないところ
だった。
枯れ草が残る見晴らしのよい平地がひろがる。
山地を削り、せっせと耕し、家庭菜園を夢見た苦労の跡だ。

これは、山の反対側に住み、鶏を飼い、菜園を楽しんでいる
老人の開拓地。
新たに買い増しした土地だ。
老人は北側斜面の敷地に、日々日々不満を募らせていた。
南向きの日当たりの良い土地に強く憧れた。
そしてとうとう2年前、念願が適った。
日当たりのよさは文句なしだ。
だがそれは山の頂。
風が容赦なく吹き、雨水は転がり落ち、湿る間もない。

定年退職後の「田舎暮らし」を夢みて、五ヶ所に住み着いた
のが6年前だったろうか。
「敷地の開墾に残る人生を捧げます」、と話していたころが
なつかしく思い出される。
いつも一緒だった奥さんを見かけなくなって久しいが、
もう五ヶ所に魅力を失ったのだろうか。

風雨にさらされ、腐りかけたベンチがありました。
畑仕事で疲れた体を休ませたのでしょう。
ここでも

「枯れ草や 老兵どもの 夢の跡」のような・・・
そんな気持ちになりました。


 

二つの例は、田舎暮らしにあこがれ、大金をはたき、実現に
こぎつけた老人たちの物語りである。

夢がいつまで続くのだろうか、
本当に満足いくものになっているのだろうか、
老人には後が無いだけに、傍でみていてハラハラすることが
決して少なくないのである。