正面やや右が
礫浦。
正面が葛島。
左が逢原島。

船出

あての無い船旅もいいなあー。と 、出来の悪い後輩と意気投合するのに時
間はかからなかった。
五ヶ所に通うようになってまだ日が浅い頃で、太陽が強烈に照りつけていた
夏の日。

湾の一番奥から船を浮かべ、湾口に向かってすべりだした。
湾を南北に縦断するのである。
「さあ出発、南南西に舵を取れ!」
気の赴くまま、航跡は行き当たりばったりの大きな「ジグザグ」を描く。
そのうち太平洋の黒潮に洗われればいいじゃないかと気楽なものだ。
2馬力の船外機だから速度は大人の早足ぐらいだろう。

怠惰な給料生活が染みついた後輩にとっても、希望に満ちたひととき。
前後に、左右と、キョロキョロと眺めるのに忙しく落ち着きがない。
体もおなじように左に右にと動くものだから、船の重心も動いてしまう。
船が傾くと舵取りがむずかしく、いきおい蛇行運転となってチットモ真っ直ぐ
に進まない。
進路の安定のため、仕方がないのでオ−ルで頭を「ガツン」とくれてやった
のだが、相棒をたしなめるのも骨がおれる。

やがて目指す向こうに、漁村の屋根瓦が海に浮かんで光ってみえてきた。
小さな半島のくびれた部分にたたずむ、のどかな漁村「礫浦」 と知ったのは
後のこと。
処女寄港地として、ピッタシと思った。
舵取りもどうにか落ち着き海上の空気にも慣れてきたのだが、ぼくらは所詮、
小心のウブ者たち。
船着場に正面から堂々と乗り込む度胸がなくて、海岸線伝いに遠巻きに近
づくことにした。
途端に、「ガリガリガリ」と物騒な気配に出くわすはめになる。
船が岸に近づきすぎたらしく、スクリュ−が岩礁をひっかけているらしい。

必死のおもいで抜け出したものだから、未知な港でも、たどり着いたときは、
ホットした。
さっそく上陸してみるが、思ったより人影がすくない。
それでも人の臭いが詰まった狭い路地を歩いて行くと、すぐに小高い堤防に
ぶつかり、それをよじ登ると反対側に、今までと違う明るい海が見えた。
はるか遠くにつづく外洋が、ぼんやり輝く。
堤防の上では海風が涼しく、建込んだ民家の開け放たれた様子が足元に見
える。
潮の香りにまじって洗濯物の香りか、はたまた墓地からか、風に運ばれて
線香の香りも混じる。
そうか、もうすぐお盆なのか。
帰省で賑やかになる前の、小さな漁村の静かな静かな昼下がりである。


とたんに喉が渇いたので雑貨屋を探し当てたものの、唯一持ち合わせの
お金が、二人合わせて50円だけ。それもボクのポケットから出てきた。
でもうれしいことにアイスキャンデ−が買えた。
ガキのころもそうだったように、口を大きく開けて滴り落ちる一滴一滴を舐める
のが恥ずかしくない。
のどかな漁村にいると、自然と少年時代に戻れてしまうのかしら。
意地きたないのも、ガキに戻ってしまった。

我慢するのが辛いのか、後輩は黙ってうつむいてしまう。
時折恨めしそうに見つめるが、一つのアイスキャンデ−を舐めあうと間接キス
みたくて汚らしいし、わずかな残りをやるとプライドが傷つくから、知らんふり
してた。
そうであれば、最初から買わなければよいのだが、心は少年にもどってしま
ったのだから仕方がない。

ますます喉の乾きが増したのか、後輩は目を逸らしたままこちらを見ようとも
しない。今までの陽気は消えうせ、すっかり無口の別人になってしまった。
それほど落ち込んだ後輩だけに、しっかり励まさねばならない。

「さあ元気を出さんか! 出港だ!」

海岸線の切れているところが湾口で、そこから太平洋がはてしなく広がる。
青い地平線に浮かぶヨットが、蜃気楼のように煮えたぎって見えた。
……まるで怨念で煮えたぎっているようだった。