秋の日
外が明るいうちは家の中にいない。
家の中にいると損をしたような気がする。それほど秋の五ヶ所湾は魅力にあふれている。
しかも週末通いとあって、雑用があふれているから家の中でのんびりしておれないのだ。
しばらく野放しにしておくと密林のようになってしまう。ことに今年の夏は蒸し暑くてなんにも
出来なかった。
腰まで伸びた雑草や、空にかぶさる雑木は刈り取るのに遅過ぎるぐらいの繁りよう。
とりあえず伸び過ぎた木の剪定でもと戦闘体制に入った。
どの枝を切って、どの枝を残すか、ここのところがムズカシイ。
何度本を読んでもマスタ−できない。ただその時だけは何とか理解できたつもりなのだが…
いざ実践となるとチットモ思い出せない。
結局悩みながら「実践」していくのだが、にわか床屋に似ているようで…。
自信が無いものだからビビリながら少しずつ刈り上げていくみたいに。
そのうち疲れてくると面倒くさくなるのも同じ。
コチョマカ、コチョマカやっていたのがバサッ、バサッと変わるのに大した時間を要しない。
 

結局、同じ枝を刈り取るのにコチョマカは
2倍も3倍もエネルギ−をかけてしまう。
それならどうして元から切り取らないのだ。
と自らの無能にウロタエル。
そんな、こんなで小枝と格闘しているうち
大技(オオワザ)を賭けたくなってきた。
大枝(オオエダ)をバッサリと、男らしく幹元
でやっちまおうと。
となると、いよいよチェンソ−の出番である。
もう、この段階までくると体中の血液が激し
く波打っているから後に引けない。
「ウイ−ン ウイ−ン」 切断音が入り江を
横断し、切り子がはげしく空に舞ウ。
 
高い梢を切り倒すのも足場が不安定過ぎる。チェンソ−は両手で持たねばならないし。
知らないうちに疲れも頂点に達しようか。
このころになると自制心も失せ目が吊り上り、凶暴化も間近。いわゆる臨界点というヤツ。

「クソッタレエ− 手を焼かせやがって」
とつぶやきながら、目の前の物は手当たり次第切り落とす。我ながら危険なのだ。
勢いというやつは恐いもので、一度弾みがつくと後に戻れない。
いつしか根元から次々と切り倒していく。
それは今まで大事に残しておいた木だと分かってはいたが…。
「オワッター」
へばり込んで仰向けに上を見あげると、空がとてつもなく広がっている。
頭上でトンビがくるりと輪を書いた。
青く澄み通った空のかなた、人の声が吸い込まれていく。
「なんなのよ!こんなに丸裸にしてエ! ギャ− 大事な木も切っちゃって!
どうしてくれるのよー」
トンビも人の声と一緒に空のかなたに吸い込まれていった。


秋の日は日増しに短かくなる。
昼飯食って、うっかり昼寝などして目をさますと
夕暮れだった。なんてこともありそう。
限られた昼間に、あれもこれもやりたいから寝坊
もできないし、むろん昼寝も出来ない。
だから昼間は目一杯に動きまわることになる。
しっかり体を使うから夕暮れになると疲れも
ずっしり覚える。
こんな時は茜色に染まった雲が疲れを癒して
くれよう。
「カァ− カァ−」 遠くねぐらに帰るカラスの声も
わるかぁない。

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夜中に窓ガラスをひっかく音で目がさめた。
何事か!
うす暗がりのバルコニ−にタヌキの影が横切る。
最初は入り口に近い和室の窓ガラスだったが、食堂まで回りこんで来た。
いったいどこまで図々しい奴だ。と呆れてしまう。
一晩に3回も4回もガリガリ、ガリガリやられるとタマラナイ。
今年のジュニアは少々個性があり過ぎる。マッタク、かまうときりがない。
無視することに決めた。
相手になると寝不足になるので、今宵はタヌキ寝入りだ。
窓を少し開けておくと、とうとう入ってきてしまった。
寝床の近くまでくるとはオドロキ。
出ていってほしいのでパンをやったのだが…。
窓に添って右を行ったり左を行ったり、永遠と繰り返す。
自分で入ってきた場所とガラスの区別がつかないのだ。
そこでふと思い出した。
定置網もおなじことだろう。充分くぐれそうな網目でも網に
添って動く魚の習性を利用した訳だ。
よほど網が大きく破れていない限り魚は逃げないのかも
知れない。

いつまでもキリがないので窓を大きく開けてやった。
やっとお帰りになって一安心したのだが…
畳の上にションベンを垂れて行きやがった。